Blog

2020/04/29

ボクのロック・ヒーロー

3月29日、志村けんさんが亡くなってしまった。
会った事もないのに、いなくなった実感がわかない。
それくらいいつも近くにいたコメディアン。
きっと日本中がそうですよね。

ザ・ドリフターズの全盛期はたぶん『全員集合』の放映時だろうと思う。
自分はドリフ全盛の世代ではないけれど、(二人兄弟の7歳上の)兄がドリフ好きだった事も関係して、
テレビのチャンネルは結構ドリフだった。

いつだって考えもつかないようなコントで笑わせてくれる。
親に怒られた後でもドリフ は面白いんだからすごい。
“笑い”について、自分のかなりの部分を委ねられるような大人たち。
楽器を演奏してもかっこいい。でも、必ずギャグがある。

未発達だった幼少期、コメディアンといえばドリフターズだったし、
 もっと言うと自分の初めてのロック・ヒーローはドリフターズだった。
表現の仕方に困るけど、ボクの好きなロックには必ずギャグがあるから。

ドリフで一番好きだったのは仲本工事。
器用でちょっとミステリアスな雰囲気というのが自分のツボだったんだけど、
それに加えてカトちゃんとシムラはみんなが大好きだから、
自分は好きにならなくてもいいかなというのがあって…
戦隊モノの“グリーン”立ち位置の哀愁みたいなものが好きっていうひねくれた理由です。

なんとなく、みんなが大好きな志村けんは心から好きにならないでおこうというのがあったような。

大人になってからも、誰でも笑えるわかりやすい笑いの志村けんは自分のどストライクではないな、
なんてどこかで考えてた。

でもさ、そんなひねくれ者が見てもやっぱり面白いんだよね。

だって誰でも笑えるんだもの。

ありえない設定だって最後には受け入れられてる。
ひとみばぁちゃん、大好きだったな。
ヒゲダンスなんてずっと見てられる。

いろんな人が笑えるわかりやすい笑いを目指した志村けんさん。
海外での人気もすごかったというエピソードや記事もたくさんあるけど、
30年くらい前に日本在住だったパキスタンの方々が、
「日本語が分からなかった私でも理解できて面白かった」とか、
「志村けんのコントで、日本での辛さ、寂しさを一瞬だけでも忘れることができた。
心のよりどころだった」
っていう話は志村さん目指したものをよく表しているような気がする。

日本中、そして世界でも志村さんに笑わせてもらった人がたくさんいるのだ。

誰でも笑える笑いを作る志村けんが今この時にいないのがほんとに辛いですね。

ひねくれ者の自分が小学一年生の時に書いていた日記。
月曜日はいつも「今日も『だいじょうぶだぁ』を見た」って書いていた。
親に怒られた日も書いてたんだろう。

まだビートルズもデヴィッド・ボウイも知らなかった幼少期。
志村けんはボクのロック・ヒーローでした。

 

 

On March 29, Japanese comedy star Ken Shimura died.
It’s the effect of the coronavirus.

He is a member of The Drifters the most successful comedy group in Japan.
His easy to understand gag was accepted by the masses in Japan like rock hero.
Every Japanese were friends with him.
And he is popular in Taiwan, UAE and India too.

Now world where everyone wants to smile more than usual.
It’s too sad that he’s gone.

His gag is also my friend since childhood.
A childhood that neither the Beatles nor David Bowie knew.
Ken Shimura was my rock hero.